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農業2.0。作物と向き合う時間を増やすために最新技術で効率化を図る/BEER EXPERIENCE 吉田敦史

脱サラして経営農家となり、ホップやパドロンを生産するBEER EXPERIENCE社の吉田さん――。「岩手の遠野で農業をする」と一言で表現しても、その実像は伝わりづらい。吉田さんの農業に対する仕事観は、一体どんなものだろうか。



ピーマン、きゅうり、トマト、アスパラガス、レタス――。遠野の気候は農業に適しており、大抵の作物が育つ。一方で生産者が何でも作れてしまうので、土地柄を生かした作物は少ない。全国2位の生産量を誇るホップは、そういった意味でも目立っている。遠野でホップの栽培が盛んな理由は、元々は「減反政策」に遡る。

東北はホップの大量生産地であったドイツと緯度や気候が近いということで、田んぼの代わりに作り始めた背景があった。しかし今では農業全体が縮小化し、生産者の数も減ってしまったという側面もある。子どもに農業を継がせていない家も多い――、と吉田さんは言う。

「ホップは背の高さがある作物。高所作業が大変で、手間もかかります。親世代の判断なのか、子ども世代の意思なのかは分かりませんが、若い世代が継いでいないので、このままだと生産者がいなくなってしまう状況でした」

新しい技術を取り入れ、効率化を図る


ホップはアサ科のつる性多年草で、アルカリ性の土を好む。1年で枯れてしまう「一年草」の作物とは異なり、同じ株が何年も生き続ける。そうした特性のためにこれまで重労働は避けられなかった。

「ホップは20~30年も同じ株が残ります。つるが枯れたあとも地面の下に株がいるので、畝の土を避けて茎を剪定し、新しい芽を出させる作業が必要になる。それぞれ『株びらき』、『株ごしらえ』と言います。果樹は地上にあるけど、ホップは土の下にあって、これを鎌で綺麗にしていく。だから、鍬で丁寧に土を避けていくんです」



案内されたホップ畑のひとつでは、44アールの農地に約800株が植えられていた。ここで育てられていた品種は「IBUKI」というもので、雌株のツル5mに収穫対象の「毬花(きゅうか)」がつく。そのため、地上5mまでツルを伸ばすのだが、台風などの被害に備えるために、支柱とワイヤーを組み合わせてホップを支える。しかし、こうした支柱が立っているために、機械化は難しいと考えられてきた。

「でも、うちの会社では新しい機械を導入して、株開きやか株ごしらえを機械化したいと思っています。すでにドイツでは使われている手法です」

吉田さんたちは、別のホップ畑でこのドイツ式の栽培方法を試している。農地の周りに電柱を埋め込み、そこにワイヤーを張り巡らせてホップのツルを吊るす。畝に支柱が立っていないため、機械を畑に入れやすい。こちらの農場では、主に「MURAKAMI SEVEN」という品種が植えられている。





ホップだけでなく、パドロン畑も露地栽培からハウス栽培へと切り替えようと試みている。露地では、一年のうち収穫できる期間が3ヶ月程度。収穫量は年5~6トン。これをハウスにすることで、10ヶ月間収穫できるようにして、年100トンの出荷を目指す。

このハウスは、オランダ式の最新鋭なもの。温度や水、天窓の開閉などがすべて全自動で行えて、コンピューターから状況が確認できる。ただし、トマトやパプリカで利用されている例はあるが、パドロンでは国内でおそらく初めての試み。細かいパラメーターの設定は、これから模索していかなくてはならない。

「潅水とか、肥料やりとか天窓の開閉とかを自動制御にしたんです。今までは水やりなどにすごく労力がかかりました。でも、これからは人が判断するだけでいい。これで作物そのものに向き合う時間を増やすことができます」

こうした試みは、「まだまだようやく基盤が整ったところ」だと吉田さんは説明する。しかし、新しいものをどんどん取り入れて効率化を突き詰める姿勢は、素人目で見ても興味深い。生産者の人数が限られる現代日本の農業において、模範的な在り方だろう。

いずれは遠野を代表する企業にしていきたい




「農業をしている――。つまり、自分で起こそうと思った職業が長年続いている。“奇跡”とまでは言いませんが、よく頑張ったなと我ながら思います。最初は夫婦2人で始めて、回りまわってこんなに大きくなった」

農家の朝は早い。朝は4時半から5時には起床する。経営者という立場である吉田さんも、時期によっては7時ごろから生産部の手伝いをして農地へ赴くこともある。一般的には、午前中は事務仕事をし、昼食を挟み、日中は経営業務を行う。売り買いの話や、銀行や税理士とのやりとりも多い。夜は22時ごろには就寝する。

前職の広告営業と比べると、かなり健康的なライフスタイルだ。ただし、経営者としてのプレッシャーももちろんある。



「この3~5年で新しい生産基盤を築いたところから、利益を出していって会社として回していかなくてはいけません。荷が重く感じるプレッシャーもありますが、気負わずやらないといけない。将来的に、給料も市役所レベルには絶対にして、みんなが入りたいという遠野の人気企業にしたいですね。自分がいなくなった後も、誰かがこの地で経営を継いでいってもらって、ずっと残っている会社になれば良いなぁと思っています」

そして、ただ単に利益を上げるためにがむしゃらに働いている訳ではない。吉田さんが進む先には「夢」が見据えられている。これが大きな原動力だ。

「いろんなホップが嗜めるようになれば、認識や知見が広がるはず。商品化するのはキリンさんですが、そのときに下支えした生産者として一緒に日本のカルチャーを変える存在でありたい。『ビールの種類とかホップの種類ってあの頃から変わったよね』と語り継がれるようにするのが夢ですね」

家族との時間を大事にしたい


都会だけを日本の全体像だと思っていたら全然違った――。岩手に引っ越して10年以上暮らしてきた吉田さんはこう話す。

「よく“どっちがいい?”と訊かれますが、都会には都会の、田舎には田舎の良さがあって、どっちが好きというのはありません。ただ、首都圏に住んでいたときには、大人になったら絶対に親と別で暮らさないといけないと思っていましたし、音楽とかスポーツに秀でていたり、いい会社に入らなければいけないと思っていました。でも、遠野に来たらそういう洗脳された考え方や視点が変わった。自分が思っていた人生だけが全てじゃないなと思いましたね」



仕事に勤しみながらも、なによりの楽しみは家族との時間だという。息子さんの話になると、吉田さんは目を輝かせて語り出す。

「自分の趣味は、息子のサッカー観戦です。夏に残念なのは、土日も仕事が入ることが多いので、息子たちの試合を見に行けないこと。反対に、冬になって10月から3月くらいはサッカー観戦のハイシーズンですね(笑)。ただ全国少年サッカー大会は10月なので、見に行けるかどうかがぎりぎり分からないんですよ。それにハウスが今週完成して、土日も全部収穫になると、アルバイトやパートさんでシフトを回さないといけない。土日に入ってくれる人が見つかるまでは、社員が土日に出なくてはいけなくないですからね」

地方でのコミュニティに自然に馴染めたのも、子どものおかげだったと吉田さんは話す。同級生の親や、サッカークラブの親付き合いが岩手での交流を広めた。特にサッカーでは、土日を終日共にして会う頻度も高いため、交流時間も自然と増えた。

「最初の頃は、知人と言えば農業の仕事仲間だけでしたけれど、本当に子供のおかげで、農業と関係ないところとも繋がっていきました。小学校や保育園の親づきあいだと、一定の距離の人だけが知り合いになるけれど、サッカークラブの場合だと範囲が街ですから。親のコミュニティが広がって、床屋さんだったり、大工さんだったり、いろんな人と知り合った。特に大工さんには、井戸を掘って欲しいとか、小屋を立てて欲しいとか、仕事を直で発注するようになりました」

自由にやらせてくれていることに対して、奥さんにも感謝している。吉田さんはそう話す。

「やっぱり、妻を大事にしていきたい。これまで僕のやりたいことやってきて、いろいろと道連れにしちゃっているので、ストレスとか不満が溜まっているだろうなとは思います。彼女は、一緒に弊社で取締役をやっていますけれど、仕事も全部付き合ってもらっていて、それプラスで家事もやってくれている。苦労をかけた分、幸せにしたいです」



text井上晃

  • photo千葉 顕弥